考えていることとか。

dolphi2005-05-04

昨日の記事はまるで文章が観賞に耐えないものでした。すいません。そしてコメントいただいたnatsumi-crazy氏ありがとう。今後とも宜しくお願いいたします。


さて、ひとまずこのブログのタイトルについてです。和訳すると「偶像哲学」になるわけですが、実際の内容はあまり哲学的なものではないでしょう。多分。要するに自分がうだうだあーだこーだと言っている様が(悪い意味で)哲学的だと、そんな感じなわけです。カントとか出てきません。
また、アイドルを偶像と言ってしまうことに嫌悪感を持つ方は結構多いのではないかと思います。実際自分もそうでしたので、その気持ちは良く分かります。しかしやはり偶像は偶像であると僕は思うので敢えて書いています。様々なメディアを通して露出するアイドルたち。メディアという手段を少しでも経てしまえば、彼女たちは偶像化されてしまうのだと思います。偶像化されるということは、すなわち自分だけではなく多くのファンに共有されるイメージとしての彼女たちという「一般化」が行われるということです。*1
おそらく「偶像」という言葉への嫌悪感は、この「一般化」に対する嫌悪、否定に起因するものなのでしょう。多分。自分の経験から言えばそうです。対等な、50:50の関係でお互いに認識し合っていたい。自分は「ファンの皆さん」という集団の中に埋没したくない。という意識が働くのではないかなと思うわけです。別にそれが悪いことだとは思いませんし、否定もしません。その意識が過剰にならない限り、むしろそれは良いと思います。なので、そのような皆さんを否定するということではありません。
ただ自分としてはやはり偶像は偶像であると、繰り返しになりますが思うのです。もちろん握手会等で直に会った彼女たちは偶像ではないと思います。*2 しかしその様な機会はそうしばしばあるものではなく、やはりメディアを通じた、偶像としての彼女たちに触れる事が殆どです。
ま、その様な事を踏まえて考えたこと、感じた事をつらつら書いていこうというのが今のところの考えです。

*1:少なくともこのコンテクストではそういう意図で偶像化という言葉を使っています

*2:しかしその握手会等のイベントも結局はセッティングされたものであるので、厳密に言えば偶像化された彼女たちに触れていると言えなくも無いですが、それは難癖つけに近いような気がします。確かにある程度偶像化された彼女たちと接しているのかもしれませんが、人に直に触れるということと、メディアを通じた接触というものは全く異質なものだと思います。例え一瞬であっても、そこには人間対人間のコミュニケーション、1対1の関係というものが構築されるわけで、その「場」においては50:50の関係にお互いがなっていると思うのです。