℃-uteを考える(中)

dolphi2005-06-16

id:dolphi:20050614:1118804181 からの続き)


前稿ではBerryz工房を「開拓者」と位置づけた上で、それまでのローティーン・ユニットの変遷を辿ったわけですが、どのユニットもプロモーション的には失敗してしまったと言えます。それは何故だったのか、という問いかけをした上で、僕は「答えは『売れた』からだ」と述べました。「プロモーション的な失敗」と「『売れた』こと」というのは著しく矛盾しているので、「なに言ってんだこいつは」とお思いになられた方もいるでしょう。
確かにプロモーションの目的は、端的に言えば「売れる」ことなのですから、この2つは大いに矛盾していると言えます。しかしそれはあくまで「売れる」事の対象が「ユニット」であった場合です。そうでなかった場合、ユニットは一転してプロモーションの「足枷」になるといえます。その顕著な例として、前稿で取り上げた「Z-1」の軌跡を辿ってみます。


「Z-1」は、1997年に開催された第7回全日本国民的美少女コンテスト*1 で、応募者15万人の中から審査員特別賞を受賞した上戸彩、音楽部門受賞の根食真実、そして本選に残った西脇愛美藤谷舞の4人で、コンテストの翌年1998年に結成されたユニットです。1999年には『Vibe!』でCDデビューを果たします。このデビューシングルにはジャケットが4パターンあるのですが、このあたりにオスカープロモーション側の「Z-1」に寄せる期待の大きさが見え隠れします。
その後12月には2ndシングル『You Your You』をリリース。翌年には3rd『BaKKAみたい!!』、4th『きめてやるサマーラブ』、5th『Be My Love』と怒涛のごとくにリリースを重ねていきますが、それとは裏腹に鳴かず飛ばずの状態が続きます。
そんな中、次第にメンバーの1人である上戸彩が頭角を現してきます。2000年10月にフジテレビ系ドラマ『涙をふいて』でドラマデビューを果たすと、翌2001年夏には高校野球応援ポスターのイメージガールに抜擢され一躍注目を集め、その年の10月にスタートしたTBS系『3年B組金八先生』への出演によってその人気を不動にした、というプロセスをたどることができるでしょうか。
しかし、あくまでこの段階で人気を確立したのは「上戸彩」であり、「『Z-1』の上戸彩」ではなかったという事に留意しておかねばなりません。そしてこれ以降女優としての路線展開を上戸彩に見出したオスカープロモーションは、もはや開店休業状態であった「Z-1」の看板を、自然消滅的にひっそりと下ろさせるのです。


「Z-1」のこのような最期については、アイドルユニットの扱いにオスカープロモーションが慣れていなかったから、そのプロモーション戦略を見誤ったのだ、ということが言われます。確かに、それも一理はあると思われます。実際所属タレント一覧*2 を見ると、どちらかというと上戸彩が大成したドラマ畑に強いという印象を受けます。楽曲中心のアイドル的ユニットとして、FLIP FLAPの所属を反証的に指摘される方もいるとは思うのですが、そもそもFLIP FLAPがその最盛期に所属していたのはオスカーではなくアーロンプラネットですし、オスカープロモーションに移籍した2002年10月以降、その活動は縮小するばかりではないかと個人的には感じたりしています。*3 オスカープロモーションは新たなアイドルユニットとして「美少女クラブ31」などを売り出そうとしているようですが、果たして。
…話が逸れました。戻します。
「Z-1」の名前の由来は『20世紀最後(=Z)にデビューし、21世紀最初(=1)のスーパー・スターになる』というものでありましたが、彼女たちが「21世紀最初のスーパー・スター」になることができなかった要因の1つは事務所のプロモーション経験不足*4 にあったことは上でも確認しました。しかしそれはあくまで要因のひとつに過ぎません。デビューシングル発売の2ヵ月後に発売されたモーニング娘。の『LOVEマシーン』が国民的大ヒットにつながり、「アイドルユニット」として遅れを取ってしまったのも不運であったと思いますが、やはり最大の要因はバランスの崩壊であると思います。
「Z-1」の場合、4人のうち上戸彩が飛びぬける形で一気にスターダムへと駆け上がってしまったわけですが、それはつまり「ユニット」の枠外での事であって、ユニットを置き去りにすることに他なりません。もちろん複数名でグループを組んでいる以上、その間に様々の差異が生じてくることは免れません。全部が全部、何から何まで均質なユニットなんてものはないはずです(あったら怖いな)。何らかの差異が生じてくるのは、むしろ一般的で、自然な事です。
しかし、「Z-1」の場合はその過程があまりにも急激過ぎました。同じ「Z-1」という枠に収めておくには、「上戸彩」という存在の占める割合が大きくなりすぎたのです。


id:dolphi:20050620:1119207335 に続く)

*1:ちなみに、この時のグランプリは須藤温子でした。

*2:http://www.oscarpro.co.jp/profile/index.html

*3:最近はミニライブや舞台への出演を中心に活動しているようです。NHK教育の『天才ビットくん』には現在もメンバーとして加わっているものの、やはりテレビへの露出は激減してしまってるといえましょう。一時はテレビ朝日系で『原宿ふりふら堂』なんていうドラマバラエティの冠番組も持っていたのに…。

*4:オスカープロモーションが具体的にどのようなユニットに「Z-1」を育てたかったのかという話は推測になってしまいますが、4人という人数と、「初期の楽曲がSPEEDに酷似している」という指摘があるように、もしかするとSPEEDを模範としたグループ像を描いていたのかもしれません。しかしこれは本文で後述したことですが、デビューシングル発売の2ヵ月後にモーニング娘。の『LOVEマシーン』がミリオンヒットを飛ばすと、3rdシングルからは楽曲の性質がそちら寄りに傾いていきます(特に4th『きめてやるサマーラブ』などは顕著だと思いますが)。あくまで主観的な判断ではありますが、ただしかしそのユニット独自の色を出そうとせずに流行りものの模倣を追うこのようなプロモーションの姿勢にも、事務所の暗中模索の体が窺えるような気がします。