ローティーンアイドルは市民権を得たか?(3)

前項はid:dolphi:20050509:1115661385。
忙しくて書けず、少々日が空いてしまいました。このシリーズもいつまで続くんだろうと、終わりが見えなくなってきていてちょっと怖いのではありますが。

「世代」論

安達祐実 ⇔ 野村佑香前田愛
という対立項を提示して前回は終わったわけですが、ではいったい彼女たちの差は何だったのか、というところを今回は考えてみようと思います。
その前に。安達祐実に関しても補足しておかなければいけません。安達祐実は1981年生まれ。1991年にハウス食品工業(現・ハウス食品)『カリー工房』*1 のCMで注目され、1993年の角川映画『REX 恐竜物語』*2 を経て、1994年の日本テレビ系列ドラマ『家なき子*3 で一気にスターダムへと駆け上がった、というのが大まかな紹介となるでしょうか。「同情するなら金をくれ!」は1994年の流行語大賞にもなりました。
ここで注目したいのは、微妙な時期のズレ、という点です。世代と言い換えられる事もできるでしょう。つまり安達祐実について言えば、1994年までの段階で、彼女は既に芸能界での地歩を確立しており、またそれは演技力に裏打ちされた「天才子役」としてのものであったと言えるわけです。一方の野村佑香前田愛に関して言えばその1994年以降、具体的に言えば先述した1995年からの「怪奇倶楽部」を画期として、その地歩を築きはじめるということが言えると思うわけです。そして、その間の時期を独りで受け持っていたのが広末涼子であったと。つまり前回提示した二項対立的な図式ではなく、
安達祐実) ⇒ 広末涼子野村佑香前田愛
という継承的な流れがあると言えるわけです。尤も、広末涼子の流れの全てを野村佑香前田愛などの「チャイドル」たちが受け継いだとは言えないと思いますが、そのあたりは煩雑になると思いますし、また自分の知識不足もあると思うので割愛します。

「環境」というファクター

「怪奇倶楽部」がそれまでのドラマと異なったものである点に関しては前回述べましたが、当然の事ながら、メディアが「怪奇倶楽部」のみであったということはありません。「怪奇倶楽部」は一つの画期とはなり、またその後も牽引していく存在ではあるのですが、「チャイドル・ブーム」の下地はそれだけによって形成されたものではありません。その様な「環境の推移」という点から、やや掘り下げてみたいと思います。
1990年代前半からの傾向として、「子供向け番組」というジャンルにおいて、従来の様な教育的な番組だけでなく、よりエンタテインメント色の濃い番組が出てきた、という事が挙げられます。先鞭をつけたのはNHK教育が1993年から放映を開始した『天才てれびくん*4 です。『天才てれびくん』には「てれび戦士」という設定で多数の子役たちが登場し、また彼らが番組のメインとなって活躍するという点で斬新だった、という点は「怪奇倶楽部」と一致します。
今書いていて思い出しましたが、過去にもこの様な番組が無かったわけではありませんでした。代表的なのが、フジテレビ系列で放映されていた『所さんのただものではない!』*5であると思います。間下このみカケフくんなどいましたね。間下このみはどちらかと言えば「チャイドル」に近接した形でブレイクはしたと思うのですが、やはり「子役」としての域を出ていなかったと思います。*6 まだ「チャイドル」(Jr.アイドル)という概念が成立していなかった頃というのもあるでしょうし、また番組のメインはやはり所ジョージであり、世間の認識としては「所さんの番組に出ていたかわいい子」というところだったでしょう。結局世間の認識における主体は番組やCMなどにあり、人物主体の認識ではなかったのです。それまでのその様な状況が変化してくるのが、前述の安達祐実の登場であったり『天才てれびくん』や「怪奇倶楽部」の開始だと思うのですが、ここでもう一つ触れておきたい作品があります。1995年に公開された映画『トイレの花子さん*7 がそれです。


(中途半端ですがid:dolphi:20050517:1116347597に続きます)

*1:本来「カリー」は漢字ですが出ませんでした。口加/口厘(くちへんにくわえる/くちへんにりん)。これで「カリー」と読ませてましたが。諸橋轍次大漢和辞典レヴェルですね。

*2:1993、日本。 監督:角川春樹/原作:畑正憲 松竹配給

*3:1994.04-06

*4:1993.4- その後タイトルを『天才てれびくんワイド』から『天才てれびくんMAX』と変え、現在も放映中。

*5:1985-1991

*6:コアなファン層は獲得していたと思います。そういった意味で「近接した形」と言えるとは思うのですが、結局はコアなファン層のみで終わってしまい、その拡大というところにまでは行かなかったのではないかと思います。

*7:1995、日本。 監督:松岡錠司 松竹配給